日本茶の品種「やぶきた」とは?その歴史と日本茶産業のこれまで

ストーリー

2018.06.20

日本人なら当たり前のように毎日飲んでいる日本茶。みなさんはお茶の品種について気にしたことがあるだろうか?お茶屋さんやスーパーに行けばたくさんの種類のお茶を目にする。「静岡茶」「宇治茶」「八女茶」「狭山茶」などの名前は聞いたことや見かけたことはあるだろう。しかし、実はこれは品種ではない。産地によるブランドである。

実は日本で栽培されている茶の大半は同じ品種。それが「やぶきた」と呼ばれるもの。普及率がもっとも高く、日本茶の代名詞ともいえる品種。「やぶきた」はなぜここまで日本で栽培されているのか。「やぶきた」はどんな特徴を持っているのか。本稿では「やぶきた」の歴史とともに解説する。

なぜ「やぶきた」がポピュラーになったのか

「やぶきた」は漢字で「藪北」と書く。お茶の品種は60品種以上も農林水産省に登録されているが、実際に日本国内で栽培されているお茶のうちおよそ80%が「やぶきた」となっている。しかし「やぶきた」は昔から栽培されていたわけではない。「やぶきた」が誕生したのは明治時代。その後、時間をかけて品種改良がほどこされて、昭和になって広く普及したのだ。

「やぶきた」の生みの親は杉山彦三郎(すぎやま ひこさぶろう、1857年〜1841年)という静岡県の人物。1908年(明治41年)、杉山は静岡県有渡郡有度村中吉田(現在の同県静岡市駿河区中吉田)の津嶋神社前にある所有地の竹藪を開拓して茶畑を造成する。成長した茶の木の中から優良な2本を選抜。2本のうち1本はかつての竹藪だった地の北の方にあったので「やぶきた(藪北)」、もう1本は竹藪だった地の南の方にあったので「やぶみなみ(藪南)」と命名した。その2本の実験と観察を続け、やがて「やぶきた」がとても優秀な茶の木であると気付く。その後も彼は「やぶきた」の品種改良を続け、杉山は「やぶきた」以外にもおよそ100種にもおよぶ優良品種を生みだし、この世を去る。彼の死後、静岡県立農事試験場での茶の育成比較試験で「やぶきた」は高い評価を受け、1945年(昭和20年)に静岡県の奨励品種に指定される。さらに1953年(昭和28年)には農林水産省の登録品種に。これをきっかけに「やぶきた」は全国に普及していった。

では、なぜ日本で作付面積75%(出展:農林水産省2012年)までもの普及率を誇る品種となったのか。それは優れた品質であるだけでなく、育てやすく、殖やしやすい品種だからだ。奨励品種や農林水産省登録品種になったことで「やぶきた」が知られ、さらにその性質が、多くの茶農家や流通業者、消費者から賞賛されて全国へ広まっていったと考えられる。

「やぶきた」は栽培しやすく高品質であった

「やぶきた」の特徴の一つとして耐寒性の強さがある。赤枯れや青枯れ、凍害に強いとされている。また根付きがよさも特徴で、様々な土壌に対応できる適応性の高さもある。さらに成長面での強みとしては、根や芽の出方が均質のうえ成長が速く、植え替えもがしやすいということもあげられる。くわえて収穫時期が速く、遅霜の被害が回避でき、新茶のシーズンにも対応が容易だ。そのため育てやすい品種として農家から高い評価を得るに至った。

また、今となっては茶は挿し木により、ほぼ同じ性質を持つ樹を増やしていくことができるのだが、茶の品種が作られる以前は、種から育てる「実生(みしょう)」の樹を栽培していたため、樹によって性質が異なり、品質が安定しないという欠点があった。収穫まで3〜10年という農作物としては比較的長いスパンで、畑に植える木を考える必要がある茶栽培において、「やぶきた」という優秀な品種の登場により、安定的な品質が期待できる標準的な品種として「やぶきた」は農家や流通業者から注目されたのだ。

味・品質面の良さとしては煎茶としての品質が極めて優れていることがあげられる。茶葉は香りが控えめだが、湯冷まし不要できれいな緑色が出やすい。味は甘みと渋みのバランスが良く、香りとコクがほどよく味わえる。この「やぶきた」の味が多くの日本人の好みに非常に合っていたことも大きい。

杉山彦三郎の努力が生み出した日本のトップ品種

先に述べたように「やぶきた」が普及したのは、発見者であり改良を続けていった杉山彦三郎の貢献なくしては語れない。杉山は「やぶきた」発見以前から茶の改良に励み、その生涯の大部分を茶の栽培と品種改良に費やした。そして「やぶきた」の普及を見ることなくその生涯を閉じた。しかし彼の死後、「やぶきた」は高評価を得て、静岡県奨励品種、農林水産省登録品種になることで認知され、そしてその性質が多くの人に受け入れられて全国に広まった。「やぶきた」はそれまでの茶の品種にない耐寒性、土地への適応性、育てやすさや殖やしやすさなどの性質が、茶農家・流通業者に安定した収穫ができるとして認められ。そして甘みと渋みのバランスがとれた味やお茶のきれいな緑色などの品質が、消費者の好みと適合し高い評価を受けた。杉山のお茶にそそいできた情熱と努力が、現在の日本茶の75%以上を占める品種「やぶきた」を生み出したといっても過言ではないだろう。

なお「やぶきた」の爆発的な普及により、栽培品種が大きく偏りが生じている。これにより収穫が短い期間に集中することで、摘み遅れによる品質の低下や、作業者の過重労働、非効率な設備稼働、品質の均一化による魅力低下などのデメリットを指摘する声もある。そのため現在では、研究機関と農家によって多様な品種の開発・栽培に注力する動きが進んでいる。

「やぶきたの母樹」は、静岡県の天然記念物に

「やぶきた」が日本茶栽培の75%以上を占めるまで至った経緯を紹介してきた。それは杉山彦三郎が「やぶきた」と名付けた1本の茶の木を見つけたことから始まっていることはわかっていただけただろう。杉山は茶の木の優良個体を選んで苗を殖やすことで品種改良を行った。「個体選抜法」といわれる方法だが、それを長年にわたりやり続けるのは多大な負担となる。それを可能にしたのは、杉山の並々ならぬ努力なのだ。

彼が見つけた「やぶきた」の母樹は、発祥地である中吉田の隣の谷田地区、静岡県立美術館前通り沿いの谷田宮の後公園に隣接地へ移植され、「杉山彦三郎記念茶畑」として保存された。静岡県の天然記念物に指定され、老木となった現在も大きく茂っている。同茶畑では杉山が各地から収集した100種以上の茶の木の中の13種も植えられていて、地元のボランティアが管理する。また「やぶきた」発祥地となった茶畑の隣の津嶋神社には記念碑が建立され、彼の功績を称えている。郷土の偉人として地元で愛されているのだ。みなさんも日本茶を飲むときに杉山彦三郎のことを思い出していただければ、彼の功績が報われるのかもしれない。

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